当たり前の基準を上げる

昨日のクラブ選手権はPK負け。しっかり守られ、攻撃も噛み合ず、思い通りに行かなくなって焦って自分勝手なプレーも多くなったりと、らしくないゲーム。残念。ここからの変化に期待。
今日はこれから若葉旗。らしくやれるかどうかに期待。


では、本題に。

10421506_1600789740172615_3595673406324558543_n

最初が肝心。何事も。
例えばピチピチの、社会人1年目。
リオの選手なら中学1年生。

4月、活動場所も人間関係もガラリと変わって、新しいスタートを切る。
新人研修では、マニュアルを一通り叩き込まれる。
新入合宿では、規律や約束事を徹底する。
受ける刺激と学びの中には気付きもあって、誰もが緊張感と少しの不安とやる気に満ち溢れ、必死についていこうとする。

5月、新しい環境にも慣れてくる頃。
恵まれた環境が当たり前だと、慣れて狎れて気が抜け始める。
知識を得たことで、あたかも自分が出来るようになったかのように勘違いが生まれる。
気の緩み、油断から、基準はどんどん下がり、アンテナの感度は鈍り始める。

その場しのぎのやっつけ、手抜き。
面倒くさいことは見て見ないフリ、他人任せ。
時間がない、忙しいからと自分に言い訳、少し前に立てたはずの目標はそっちのけ。
そうして、基準の下がった者同士が傷を舐めあい、つるんでは遊びに走る。

6月、運命の別れ道。
誰かに指摘してもらえる環境と、誰にも指摘してもらえない環境が半々として。
そこで、気付いて修正できる人間と、聞けない認められない人間が半々。

信頼を築くのには時間がかかるが、失うのはほんの一瞬。
話を聞く素直さと、改めようという意識がなければ、そのうち誰も言ってくれなくなる。
アイツはダメだ、使えない、と干されることになる。
自分だけに通用するゆるい基準じゃ、どこへ行っても相手にされない。

マニュアルと、効率化は重要。でも何の為に?
何も考えずにマニュアル通りやることが目的ではなくて、常に意識を自分自身で確認することが大事。
今のままでいいのか?もっといい方法はないか?自問自答し、努力を積み重ねることが大事。
『知ってる』と『出来る』は別物で、勘違いは致命的。
ただ日々を過ごし、なんとか現状を維持しようとするだけなら衰退。

人は自分の価値観の範囲内でしか、物事を見られないらしい。
人は環境に左右され、周囲に合わせようとする習性があるらしい。
だから基準の高い人間と一緒にいれば、自分もそうなりたい、こうありたいと、努力することになる。
その時は大変だ、しんどいと思っていても、知らず知らずのうちに基準が上がり、信頼される人間へと成長できていたりする。

当たり前の基準を上げる。
ぶっ飛んでるくらい、高い目標を掲げる。
今の自分でイメージ出来ることじゃなく、目標や壁を乗り越えていくことで満足してしまわないように、常に新しいことを考える。
現代社会、これがなかなか難しい。
失敗しないことが失敗。失敗を恐れることが失敗。自分はそう思う。

今の自分は、挑戦しているか?自問自答。
目標の実現に徹底的にこだわることで、成長を得る。
変化を恐れず、進化を求めたい。

10476500_824567310964889_500700297767696535_n

リオペードラ加賀コーチブログ
アウパ加賀スタッフブログ

NPO法人スポーツクラブ リオペードラ加賀
株式会社アウパ

スポンサーリンク
スポンサー広告
スポンサー広告
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
スポンサー広告

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です