『中瀬古先生を偲ぶ会』に参加させていただきました。
日本全国から駆けつけた、約300名の方々。
先生の偉大な軌跡を目の当たりにしながら、自分なりに感謝の言葉をお伝えしてきました。
■ドリブルの聖地
お恥ずかしい話ですが、中瀬古先生に初めてお会いしたのは、まだ自分が表面的なところでもがいていた頃。
8年前、インターシティーカップで高田FCと対戦する機会があり、夜の懇親会で高田FCのスタッフと話をさせて頂きました。もっといろんなお話を聞かせていただきたくて、宿舎まで押しかけました。
その翌年から、ドリブルの聖地下北山に参加させていただいています。
あの時、高田FCと対戦していなければ、そして、中瀬古先生にお会いしていなければ、下北山に行ってなければ、今のリオペードラはありません。
立ち上げから自分なりに、個を伸ばすことを最も大切にという部分はブレずにやって来ましたが、高田FCと対戦し、そして、中瀬古先生や西岡さん始め、スタッフの方々とお話させてもらってから、更にその想いが強くなり、今に至ります。
個を伸ばすことを再優先に!!
これからもそれは変わることはありません。
■メニューの追っかけ
最初はメニューの追っかけから入りました。
高田FCと対戦したビデオを観まくって、なんで?なんで?と何度も観返していました。
大事なのは、考え方や意識の向けどころなのに、まだそこが見えてなかったし、見ようともしていなかった。
そこからの試行錯誤があって、今があります。
■日本のサッカー界のために
自チームのことだけでなく、奈良県のために、日本のサッカー界のためにと長きに渡ってやってこられました。
写真を見てもわかるように、多くのプロ選手や指導者を輩出した物凄い方でした。
立ち上げから10年。自分でも信じられないくらいに、たくさんのチームや指導者の皆さんとお会いできるようになったのも、下北山がきっかけだと思っています。
奈良県の、本当に山の奥の奥で、育成年代のポリシーやこだわりを持ってやっているチームと交流させていただくことで、指導者も選手も、多くの気付きを頂き、成長させてもらえたと思っています。
■指導者としての生き様
下北山のことや中瀬古先生のことを思い出すと、本当にただただ感謝の言葉しかありません。
あのような生き方、生き様は到底真似できるものではありませんが、自分なりに一回きりの人生を焦らずコツコツと積み重ねていかねばと、改めて覚悟を決めました。
中瀬古先生、本当にお世話になりました!
もっともっとお話したかったです!